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歴史と由来History

能鷹の歴史

創業1643年(寛永20年)。
2021年で379年目を迎えており、えちごトキめき鉄道谷浜駅前に位置し、前方には日本海が広がり、後方には急な山並み、全国でも珍しい海・山に近く駅に近い酒蔵です。

 

屋号 能登屋(のとや)

その昔、石川県までお酒を船で運搬しておりました。その運ぶ者を「のと」と呼んでいたそうで、そこから屋号が「のとや」になったと伝えられております。

 

能鷹の由来

創業当初は「公乃松(きみのまつ)」という銘柄でございましたが、昭和18年に当時の店主「田中キミ」が、屋号である「能登屋(のとや)」の頭文字「能」と、店主の座右の銘の格言「能ある鷹は…」より「鷹」を戴き「能鷹(のうたか)」と命名いたしました。以来、この名前でご愛顧をいただいております。

昭和18年は全国的にも転業廃業が多くあった年で、当家も当時酒米の配給もままならない状況の中、廃業の話が何度となく話し合われたと言います。しかし、その話は当時の嫁(田中キミ 初代社長)には知らされておらず、廃業の当日、手続き行く前に当主(夫 田中直治)より知らされたとの話であります。当主の妻のキミさんは、夫の足につかまり廃業を制止し「私がやります」と言い廃業を止めたと言われております。

昭和18年~23年までは、酒米が殆ど手に入らず、冬期間10数名の蔵人は僅かな酒米でお酒を仕込んでいたそうです。

直治さんが亡くなり、キミさんは当時郵便局員(公務員)だった長男弘邦氏を店主といたしました。
その頃は「田中酒造店」と言い、会社組織ではなく「お店」だったので弘邦氏は公務員でありましたがお店の代表になれました。
実際は当然キミさんが酒屋業を経営しておりましたが、自分が前へ出るより長男弘邦氏を代表にすることで裏方より支える様は、正にキミさんが好きだった「能ある鷹は…」の格言に由来するのではないでしょうか。

 

会社沿革

寛永20年
西暦1643年 当地にておいて創業を開始
明治時代
北陸鉄道開通の為、酒蔵を分断(谷浜駅となる)し一部移設
昭和18年
長年続いた「公乃松(きみのまつ)」の銘柄を現在の「能鷹」に変更
昭和28年
第1回関東信越国税局清酒品評会にて優等賞を受賞
昭和30年
資本金500万円で株式会社を設立(初代社長 田中キミ)、新蔵建設
昭和31年
第3回全国新酒品評会において優等賞を受賞
昭和33年
麹室を近代的に新築
昭和36年
販売石数1,000石を超える
昭和40年
びん詰自動ライン完成
昭和45年
販売石数2,000石を超える
昭和49年
製造蔵を新蔵より土蔵蔵に切り替え
製造蔵の冷房及び新しぼり機導入
平成元年
第49回関東信越国税局酒類鑑評会において主席第1位を獲得
平成3年
資本金1,000万円に増資、第3倉庫完成
販売石数3,000石を超え関東方面に販売拡大
平成4年
清酒の級別廃止
平成7年
製造機械設備完了
平成8年
田中弘邦 社長就任
平成15年
事務所新築